セラピストになった理由・その2

昨日お伝えした「私がセラピストになった理由」のうち、ふたつめの「ありのままの自分を認めてもらえず生きて来た人の助けになりたい」ということについて、書きたいと思います。

幼い頃から、私は「変わった子ども」として認識されて来ました。
その背景には「自閉症スペクトラム」が関わっていた様に思いますが、診断を受けたわけではありません。

前に書いたかもしれませんが、幼い頃はケーキの広告を切り抜いて集めたり(表を取るか裏を取るか、で悩んでいた)、使った後の石鹸に付いている泡を全部落とすために水で洗い流したり、物を綺麗に整列させるのが好きだったりなど、こだわりが強かったです。

ですから、そういったことが「無駄なことをしている」と認識されたのか、バカにされることはしょっちゅうでした。

私をわかってくれたのは、ほんのひと握りの「おとなたち」だけでした。
成長しても、同年代やそれ以下の人たちとコミュニケーションを取るのが苦手だったのは、その影響もありそうです。ありのままの自分を認めてくれるわけがないから、初めから「相手が認めそうな人間を装おう」として、その人や周りを観察し、真似することが得意になっていきました。

そうやって、偽りの自己で居続けるという「安全策」を取り続け、気付いた時には、自分が何者かよく分からなくなっていました。

ありのままの自分を認めてもらえないのは辛いです。
でもそれ以上に、自分が自分を認識できなくなるのは、もっと辛いことでした。

結局は、何か見たくないものに蓋をしたところで、解消されていないものはいずれ出て来てしまうわけです。
なぜなら、それは「自分が気付くべき素晴らしいもの」を内包しているからです。

私のこの一連の出来事に内包されていたものは「自分との繋がりの認識=宇宙全体との繋がりの認識」でした。いったん失うことで、それの大切さがわかり、より深く知ろうとする、という流れでの学びです。

そして、同じ様な苦しみの中にいる人を助けるということを目指すために用意された道でもあります。

心から拒絶しているものは、心から叶えたいことと必ず繋がっています。

今日のひとこと
『 自分の過去を嘆くよりも、いったん受け入れてみよう 』

今日も素晴らしい日をありがとうございます。

LATLEA
動物と家族のメンタルケアセラピスト
光田恵美

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