私たちは依存している

依存とは「他のものによりかかり、それによって成り立つこと」という意味です。

私たちは皆、依存しあって生きています。
まず初めの依存は、お父さんの精子と、お母さんの卵子により生を受けるという事実です。
それから、お母さんのお腹の中で”依存”しながらすくすくと成長していきます。

大人になってからもそうです。
会社に入ったら先輩に教えてもらったりします。
会社自体も、存在しなければ働き賃金を得ることもできません。
お金というものが存在しなければ、簡単に食料を得ることもままなりません。
電車がなければ遠くまで行くのには時間と労力もかかりますし、船や飛行機が発明されていなければ、海を越えた外国へは行けないかもしれません。

逆に、誰かの依存に対し助けとなることもしています。
電車で席を譲ったり、虐められている子を助けたり、怪我をした動物を助けたり、
またお金を使うことは、それがそのお店を経営してくれている人たちの暮らしの支えとなります。

この文章を書いている時、私がトラブルで落ち込んでいた日に助けられた方からの温かいメッセージが来ました。本当に有難いことです。私は確かに、その日”依存”し、助けられました。

依存というと、共依存、アルコール依存症、買い物依存症、ドラッグ依存症など、様々な状況が思い浮かびますが、そのどれもが「自分の元来の力を忘れてしまっている」がために起こっていることの様に思います。

自分は完全な状態だから地球に生まれることが出来たのだという信頼、誰もが完全であるという宇宙の仕組みを理解し、自分を無力な存在だとする意識を払拭すれば、様々な症状から解放されていきます。

私は、自己を弱きものとし、特定のものに依存して自分を保っている状況が”依存症”と呼ばれているのではないかと思います。

「全体と依存し合っているという事実」を見つめていくと、「森の中の1本の木」を見ていた自分の視野が、「森全体」へと拡大していきます。

そして、自分という存在の”正しい捉え方”が出来る様になっていくはずです。

今日のひとこと
『 私たちは、誰ひとり、一人では存在し得ない 』

今日も素晴らしい日をありがとうございます。

LATLEA
動物と家族のメンタルケアセラピスト
光田恵美