辛いことが生む、幸せなこと

みなさんは自己紹介、得意ですか?
私は小さい頃、人前で話すのがすごく苦手で、中学一年生の時に頭が真っ白になって泣き出す…といった事がありました。

大人になってからは、就職の面接や会社で割とひどい扱いを受けた事もありましたが、これら全ては、私の「自己肯定感の欠如」が巻き起こした事です。

自己肯定感が欠如していたので「私の考えを言う事」なんてとてもじゃないけど出来ない、他人の目は「私を否定的に判断する危険なもの」として認識していました。

私は0-3歳くらいの記憶が全くありません。4-11歳は断片的にしか憶えていません。12歳の時、クラスメイトの「マネ」をする事で安全に生きる術を身に付けました。それと同時に、私の「自己」というものに完全に蓋をした出来事でもあったわけです。

アダルトチルドレン(インナーチャイルド)、ADHDや自閉スペクトラム症、その他の発達障害など、全部自分に当てはまっていると思い、そこに居場所を見つけた時期もありました。

そんな時代を経て今思うのは、「病名に依存していた」という事です。
それは「可哀想な自分であれば攻撃されず安全に生きられる」という自己防衛の仕方を採用していたために起きた事でもあります。

過去のトラウマ、辛い感情は、必要が無くなれば簡単に体から離れて行きます。

その必要を無くすには「あの時の自分」が「あの時の辛い事象」によって得た「嬉しいもの」が、他の楽な方法でも手に入るということを潜在意識に憶えさせてあげれば良いんです。

参考までに、私が自己肯定感を欠如させた一番大きな理由は「安全」を手に入れるためでした。

人生、何か辛い事や大変な事が多くて疲れるな…と思われている方は、もしかしたら「特別に嬉しい何か」を得るためのパターンがそこにあるのかもしれません。

何かを手放したい時は、目を逸らすことなく、真正面から愛を持って、隅々まで見てあげることが大切です。

今日のひとこと
『変えたい事柄の”奥にあるもの”を変える事ができれば、そこから分岐している全ての不具合を手放す事が出来る』

今日も素晴らしい日をありがとうございます。

LATLEA
動物と家族のメンタルケアセラピスト
光田恵美

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