断捨離の真意

こんにちは。ラトレアの光田恵美です。

今年に入ってから徐々に断捨離をしてきましたが、ここ2ヶ月間くらいでかなりのものを手放しました。

私はアンティークが好きで、カゴや木のものが好き、陶器が好き。

さらに、洋服やバッグ、アクセサリーも好きで、たくさんの「好きなものたち」に囲まれていました。

私はほぼ毎日、自己セッションをしますが、この断捨離の流れで再確認したことがあります。

それは、「家の中の状態と、自分自身の状態は連動している」ということ。

家の中が自分自身だとしたら。

私は小さな頃、親の元にいない状態(ベビーシッターのお家にお世話になっていた)が割と長くあり、確固たる居場所はありませんでした。

家という形の “自分自身” の中に、自分の居場所がない。

だから、自分の居場所を作らないといけない。そして、たくさんの ”私が好きなもの” によって、その居場所を作ろうとした。

現実世界での “家” は、紛れもなく私だけの居場所となりました。

そして、もう手放したく無いとばかりにどんどん物を増やしていきました。

でも、安住の地が出来上がっていくと同時に、それは私を縛るものともなっていきました。

数多のセッションにより、多くのものを手放していく中、私を縛り引き止めていたものが徐々に減っていくのが分かりました。

そしてその縛りの解放は、何よりも自らの幸せに通じていたのです。

手放すたびに、心の重荷が取れていく感覚で、そうすると、さらに手放して良いものが見えてくる。

そうして、今年の初めから、900点にのぼる物たちを手放しました。

この手放しで、その時に築いた資産がお金というエネルギーで還ってきている感覚です。

これでまた、新たなセミナーを受けたり、昨日のブログにも書いた、イチゴ狩りなどの遊びに出掛けたりも出来ています。

その時の自分からのプレゼントだと感謝しています。

全ては、一見悪い様に見えても、必ず自分にとって良い面があります。

それに気付くと、一気にその面の “自己受容” が出来て、自己肯定感も上がってきます。

「居場所を作って、私がそこに入る」のではなく

「私がいる。だからここは私の居場所」

こう思える様になったのも、自分を受容して認める事が出来てきたからです。

昨日も書きましたが、視点を変えて多面的に見ていくのは、本当に大切だと思っています。

話は変わりますが、高校生のときくらいから、たまに言われていた言葉があります。

「人生をなめている」

私的には、舐めているつもりはなく

必死に、地に足をつけようと頑張ってきたんですが、つけ方をそもそも知らなかったんですね。

私自身を重く縛っていた理由には、地に足をつけたい、という気持ちも、少なからずあったと思います。

もちろん、居場所を作っていた時は、その時の人生で必要な事だったんですよ。

でも今は、もう必要がなくなってきた。

ただそれだけです。善し悪しはありません。

断捨離の真意は、

「今の自分に要らなくなった鎧を脱ぐ」

ということなのかなと、私は思います。

さて、少し長くなってきたので、明日また続きを書きますね。

LATLEA
動物と家族のメンタルケアセラピスト
光田恵美